これは本当に謎。
— 摩耶薫子 (@k_maya) September 5, 2021
奈良時代までは髪飾りはもちろん首飾り腕輪指輪耳飾り全部あったのに、平安初期はかろうじてあったらしい簪もふくめ装身具すべて捨て去っている。
江戸時代にようやく髪飾りは復活してるけど、肌にふれる装身具は結局明治の西洋文明が入るまで復活しなかった https://t.co/sFvRkxRZEX
これは考えたこともありませんでした。とても、面白いですね。
— Mitai (@Mitai43574695) September 5, 2021
平安時代というと、着物の柄や色重ねが重要で、それ以外で飾ることは過剰だと言うことなのでしょうか。首元の重ね部分を着付けでも非常に時間をかけて整えるので。首元の重ねと帯と簪がアクセサリ代わりなのでしょうね。
全くの素人考えで根拠はないんですが、奈良時代までは力のあるものと通じるものを身につけることによって自分も力を得ようとしていたのが、平安期に広まった呪いの文化から身につけていたものを奪われ呪いに使われることを恐れだした、などと考えると創作に活かせそうな気もします。
— 紅 侘助@因州牢人・戯作屋 (@beniwabisuke) September 6, 2021
奈良時代以後大陸系の権力(天皇) を排除する動きの中で大陸系の文化諸とも無くしてしまったとか?
— YASU_2%@ハクさんの椅子 (@YASU_2) September 5, 2021
忌み呪い穢れ等として扱われた?
琉球アイヌは大陸との交易が盛んだからそこに呪詛守護的な意味合いを保っていたとか?
遣唐使の廃止あたりがひとつ価値観の転換点かなあとは思いますが、その後こんなに長期間ここまで徹底した理由がはっきりしないのが不思議ですよね。おそらくは複合的な要因の結果なんだろうとは思いますが…
— 摩耶薫子 (@k_maya) September 5, 2021
その本当の理由が分かるときって来るんでしょうかね
— ソエム (@YoshidaSoem) September 5, 2021
「持ち物で呪う」みたいな文化があったからかなぁ。
— 風見鶏 (@weathercock5333) September 5, 2021
戦時下におけるぜいたくは敵!の意識が関与しているとかそういう単純な問題とは結び付かないのですか。
— 𝐩𝐚𝐨 ᵃᵏᵃ ⁱⁿᵘ (@Pao_aka_inu) September 5, 2021
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