「『アラジン』の冒頭でアラジンはパンを盗むけど、それを空腹の子供たちにあげちゃって自分はお腹を空かせたままになる。鑑賞者はアラジンの好感を抱くが、盗まれたパン屋の気持ちは描写されない。これが好感度コントロールである」ってことなんだけど、読んだあとしばらく創作する気にならんかった
— 江藤俊司/es (@esfeb0203s) August 6, 2021
ではこれを解消するための”言い訳”はどうするの?という問いに対するアンサー、安易に考えると「パン屋を邪悪にする」とかになりがちで、それはすべての”悪役”に適応される考え方なわけで、「主人公のプロパガンダを永久に行うことになるのか…?」っていう絶望みたいなものは常に心のどこかにある
— 江藤俊司/es (@esfeb0203s) August 6, 2021
それはそれとして”お金をいただくお仕事”としては「ハンバーグが食べたい!」というお客さまに「なるべく美味しいハンバーグをお出ししたい!」でそのへんをカットする図太さも必要で、俺の場合は「折り合いを付けるために表に出ない膨大な設定を作る必要」が生まれる
— 江藤俊司/es (@esfeb0203s) August 6, 2021
そういう意味では「俺は俺の”面白い”だけを絶対原理として創作するぜ~~~!!!」の強さを感じることもあるし、トップスピードのまま”時代の壁”に激突して大破している様を見て「流れ星が落ちた…アンタの閃光…見届けたぜ…」と思うこともある
— 江藤俊司/es (@esfeb0203s) August 6, 2021
「自分が何に対して忠実であろうとするか」を意識無意識に関わらず決めてる人は(時代にとって)正しかろうが間違っていようが強いし、心を折らずに作り続けていくためにはそれが必要
— 江藤俊司/es (@esfeb0203s) August 6, 2021
『アラジンと魔法のランプ』(アラジンとまほうのランプ、アラビア語: علاء الدين)は、『アラビアン・ナイト』(千夜一夜物語)として最も有名な物語のひとつ。 西洋に紹介されたアラビアン・ナイトの訳本には、この物語を含むものがあるが、アラビア語原典には収録されていない。いわゆるorphan tales(孤児の話[1])の内の一つである。 『アリババと40人の盗賊』と同様に、アラビアン・ナイトとは関係がないことがムフシン・マフディー(Muhsin Mahdi)の研究によって明らかになっている。
アラジンと魔法のランプ
アラジンはご近所の経済事情やそのパン屋のことを把握していて人気のパンではなく毎日必ず売れ残るパンを盗む。アラジンは時に懲らしめられる場合もあり時に情状酌量。
— りゅうりゅうさん (@RbJbc) August 7, 2021
誰かの幸せは誰かの不幸
— GANM (@kmsmds225) August 7, 2021
このシーン初めて見た時、もしパン屋に病気がちの娘がいてパンを売って薬代を稼いでたけどパンを盗んだせいで薬が買えなくなって娘が死んだらどうすんだろうって思って最後までモヤモヤしてました。
— 西谷 (@_PP4PPP) August 7, 2021
考えすぎかもしれませんが。
アラジンが大富豪になった時点で「パン屋に恩返し」をする(立派なお店に建て替えるetc)と言うのはどうですかね。
— 山犬。 (@ua6iB2GsFFON5j5) August 7, 2021
完璧な世界などないのだよ。物語でも、人の人生でも、必ず悪党に近いことをして成功を得ていると思う。純度100%は人間にはない!!!
— コンビニズ (@konbinisu) August 7, 2021
エンディングやスタッフロールでそのパン屋で大量買いしてるシーンとかがあるといいかな
— はっしー (@nekomaru_hayate) August 6, 2021
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— アキ (@a__k_i) August 6, 2021
周りがクズばっかりだからアラジンが相対的にマトモに見えるだけで。
オタクニュース
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