正義の名の下に他人ぶん殴ってる時楽しそうでしょ?
— たいしょう (@taisho__) 2020年4月26日
私が高校生の時世界史教えてくれた先生の「棒で人を殴ることにはたまらん愉悦がある。そのことを認め、その欲求とどう付き合うかが世界史を学ぶ理由だ」ってコメントは本当に学費分の価値があったよ。差別と憎悪は自分が対象じゃなきゃ娯楽なの。
自分に正義があると信じているときに他人に対してどう行動するかがその人の文化力の水準を表すと思います
— 小鹿亂撞@医療従事者に感謝 (@i_hanaki) 2020年4月26日
なぜ楽しいのか?
— ケイ@外出を自粛して雑学をインプット中 (@mikaitabi) 2020年4月26日
これはシャーデンフロイデといって、「これは正義のため」という口実で他人を攻撃することで、オキシトシンというストレスを消し多幸感を与えるホルモンが分泌するからなんです。
故に他人は誰かを攻撃すると、ストレスが解消され、不安や恐怖心も減少し、幸せな気持ちになるんです。
棒とは延長されて、痛みも感じない腕で、すさまじいパワーアップアイテムなんですよね。強くなった自分ほど愉快なことはないわけで。
— ナカイサヤカ@家にいます (@sayakatake) 2020年4月26日
世界史でよく覚えてるのは「ローマ帝国は支配民族の待遇に差をつけて団結を防いだ」って記述です。
— Sparrow (@Sparrow243) 2020年4月26日
今にも通用しますよね。
同意。
— Tonkichi A (@Ton_kichi) 2020年4月26日
ただ、この言葉に当て嵌まり深く同意するタイプの人も一定数存在する訳です。
そうで無いタイプの人間も勿論存在します。
互いにそれを認識すべきなのでしょう。
ゲバルトもギロチンも、「正義」を冠した大衆娯楽だった。
— R-sprt (@mskt_rdr) 2020年4月26日
いずれも、実社会では姿を消したものの、ネットの世界で復活した。
人類にとってその誘惑は、あまりに甘美だということ…
正義と言う棒を振りかざす。
— haruaki@京アニ頑張れ (@haruna_aki) 2020年4月26日
おっしゃる通りですね。様々な見方があり、自分と異なる視点の意見が目から鱗な時多数。でも…難しいですが、つきあい方大事ですね。
参考になりました。
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