
モネは「人は私の作品について議論し、まるで理解する必要があるかのように理解したふりをする。私の作品はただ愛するだけでよいのに。」と言ったそうだが本当にそう思う。絵は理解するしないで語ると魅力がわからなくなる。あぁいいなと思う感覚が全て。
— Makoto Iijima (@makokujira) February 2, 2023
モネの絵からは、自然の中に煌めく色の世界、一瞬の光、風、影の中の深い輝き、それを見た時の至上の感動をなんとか絵の中に繋ぎ止めたいという思いが伝わってくるしそこに一切の理論は必要ないのだろう。そして彼がその光の美しさに感動したそのままを見た人に感じて欲しかったと言う事なのだろう。
— Makoto Iijima (@makokujira) February 3, 2023
「これはモネの思いであり一般化は良く無い」のようなコメントがあったので補足。理論も議論も絵画の中のポエジーや音楽性をそのまま受け取る事に対して邪魔になってしまう事もあるのではないかという趣旨であり↓
— Makoto Iijima (@makokujira) February 4, 2023
詩情や音楽性を主眼に置かず理論によって描かれ作家自身が議論を求めるような作品はこの限りではないのだろう。
— Makoto Iijima (@makokujira) February 4, 2023
絵画が内包する哲学は理論や言語に落とし込まずとも感覚を通して画面から溢れ伝わるものがありそこに大いに感動したりする。それが学問とは違うものとしての芸術の魅力であるのだとも思う。
— Makoto Iijima (@makokujira) February 4, 2023
もちろん受け取ったものを言語化してみることも楽しいし、歴史的背景や画家のバックグラウンド、美術史の中のスタンドポイントなどを系統的に見ていく事でより理解が深まり楽しめるという事はあると思う。
— Makoto Iijima (@makokujira) February 4, 2023
しかし「絵画を観る前にその絵画の知識を得ないとないと観ても意味がない」のような主張も存在しており、それは明確に違うと思っている。そう言う言葉を聞いて絵画鑑賞について萎縮してしまう人がいるのかなと思うことがあり、それに対するアンチテーゼを趣旨としたツイートでした。
— Makoto Iijima (@makokujira) February 4, 2023
画家であれ、小説家にしろ、自分の作品について多くを語るのはよくない、と私は思います。
— ザャパィ(ボケたがるアカウント (@bartokfish) February 2, 2023
私はこれを勝手に〝作品主義〟と呼んでいますが、作品は作者の手をはなれた時からひとりで語り出すものであり、作者は作品を世に送り出す時点で、その作品に込めたいすべてを内包させるべきだと思うからです。
同感です^ - ^
— そら爺 (@Sora_zy) February 2, 2023
あぁいいな‥と思う感覚 好きと思う感覚が全て〜だと思います。
「言葉にできないから、絵に描いたんじゃないか」と言った誰かの言葉が好きです。
— あきのみどりは (@XbsuFaemR3VVsHc) February 5, 2023
美術館のツアーで解説を聞くと面白いのですが
— Haginko Gallery (@HaginkoGallery) February 3, 2023
技法や時代背景はなるほどと納得するものの
作者の心情を熱く語られると。。。
この人イタコ?って思います。
オタクニュース
が
しました